アクセスカウンタ

プロフィール

ブログ名
actimedia
ブログ紹介
このブログは、私actimeが趣味や日常、気になることや感じたことなど好きなことを書いていく、actimeのメディアです。
zoom RSS

「老人排斥思想」を生まないために

2017/03/15 21:53
本日、私はTwitterのトレンドにあった「地方創生のリアル」における意見を見て、このようなツイートをした。




「地方創生」の事業において、地方の老人が支援しようとよそから来た若い世代をいいようにこき使うっといった事例が発生しており、これは若い世代をこき使うブラック就業と似た構図だという意見があったのを見て、私が出した意見である。
このツイートに対してたくさんのRTやFAVをいただき、私のこれまでのつぶやきでは一番の反響をいただいた。
確かにこの国における少子高齢化と若い人材の使い潰しは病理になっており、それに共感する人が多かったということだと思う。

このツイートに対し、「老人が多いのが問題なら、老人を減らせばいいのでは?」という意見のレスをいただいた。
私自身も以前、少子高齢化が問題なのなら寿命を短縮させたり安楽死を奨励したりして、老人の数を減らせばいいのではと思ったけど、そんな単純な問題で済むものではないと今は考えを改めている。

私は昨年の夏から、リハビリテーション専門の病院で事務作業を行っている。
この病院には数多くの高齢者がいらっしゃっているが、みな一生懸命回復しようと努力し、また多くのスタッフが1日でも元の生活に復帰できるよう努力している。
そういう人が多くいる職場に勤めてみて、「高齢者に対して安易に死を奨励するようなことは間違いだなと。」感じたのだ。

まだ使える「モノ」でももういらないなと思ったら簡単に処分するのもやぶさかではないと思うが、人間は「モノ」とは違い人格を持っており、邪魔だから安易に排斥・処分しようとすることは、たとえ社会のためだと思っても同義に反することである。そんなことをするような社会は奴隷制社会や封建主義社会までで結構である。
昨年、神奈川県相模原市の障害者施設において、元職員が「障害者を減らせば社会の負担が減る。」などという歪んだ考えの元に大量の障害者たちを殺害するおぞましい事件が起きた。
障害者たちは好きでハンデをもって生まれてきたわけではないし、生まれてきたことに罪があるわけではない。どんな人にだって生きる権利はある。
これと同様で、社会において「生きる権利」はあっても「死ぬ権利」が認められるような社会は、永遠に生まれることはあり得ない。(先の犯罪者のような、よっぽど悪いことをして、かつそれを改めないような人であれば話は別かもしれないが…)

高齢者を排斥しようという社会の流れができてしまえば、「長生きすることが罪」となってしまい、一定の年齢を過ぎるといつ排除されるかわからず、おびえながら暮らしてしまうようになってしまう。
確かに現在の日本では、少子高齢化が進んだ上で中枢を担う人物の多くが高齢化し、そのうえで若い世代がそれらに酷使されたりいいように利用されてつぶされてしまうような状況で、「長生きは罪」的な思想がまかり通ってしまう恐れがある。
老人だろうが若者だろうが、どちらも同じ人間である。どちらが「優先して生きるべき」といったことを決めつけるようなことなんておかしい。
間違った思想に進んでしまう前に、冷静に社会の問題を改めるべくみんなが努力していく必要がある。
時間はかかってもいい。手遅れになる前に変えるべきところは変えていく必要がある。
手遅れになって急進的な思想や改革の出現は、特効薬と同じで副作用を伴い、犠牲になる人を生んでしまうから。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


意外と知られていない魔法少女作品の原点の作者

2017/03/12 10:59
赤塚不二夫
「天才バカボン」「おそ松くん」「もーれつア太郎」を始めとするギャグマンガの巨匠として知られる伝説の漫画家である。
最近では「おそ松くん」のリメイクアニメ「おそ松さん」が、人気男性声優を多く起用したこともあって女性アニメファンを中心に大ヒットしたのも記憶に新しいところである。

しかし、有名な漫画・アニメ作品でありながら、赤塚不二夫が原作であることが意外なほど知られていないと思われる作品が存在する。
それが、「ひみつのアッコちゃん」である。

「ひみつのアッコちゃん」といえば、変身という女の子の一種の願望を体現した、「魔法使いサリー」や「魔女っ娘メグちゃん」などと並ぶ魔法少女作品の始祖ともいうべき作品だ。
少女漫画であり魔法少女の王道的な作品である「ひみつのアッコちゃん」が赤塚不二夫原作であることが意外と知られていないのは、彼が前述したようにギャグ漫画の巨匠としてのイメージがあまりにも強すぎるからであろう。
漫画の神様ともいうべき手塚治虫が「ふしぎなメルモ」や「リボンの騎士」、「鉄人28号」「三国志」などで知られる横山光輝が「魔法使いサリー」の原作者であることにはそれほど驚きはしないだろうが、赤塚不二夫が「ひみつのアッコちゃん」の原作者であることに驚く人は多いと思われる。

今でこそ少女漫画の作者の大多数は女性ではあるが、少女漫画のジャンルが成立した当初は大半が男性作家で、前述したように今では大御所ともいうべき男性漫画家も多数少女漫画を送り出していた。
赤塚不二夫はもともと少女漫画作者として鳴らし「ひみつのアッコちゃん」を大ヒットさせたが、その後はナンセンスなギャグマンガへと転向しその地位を確立した。
現在では、少年漫画にも女性作者が現れるようになり、男性作者による女の子中心の「萌え作品」も登場しており、「男性向け」「女性向け」という線引きが曖昧になってきている。

「ひみつのアッコちゃん」が赤塚不二夫原作であることを裏付ける要素が実は存在する。
それは「おそ松くん」のヒロインとして登場する「トト子」が、アッコちゃんそっくりだという点だ。
赤塚自身は生前、この指摘について逆ギレ気味に否定したとも、一方で認めたともいわれているが、いずれにせよこれがまるで作風が異なる赤塚作品を結びつける形になっている。
ちなみに、「もーれつア太郎」の1990年版アニメにも、アッコちゃん似のヒロイン「ももこちゃん」が登場している。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


PASMOにクレジットチャージ機能が実装

2017/03/10 21:37
今年で導入10周年を迎える、首都圏の私鉄・公営の鉄道・バスのICカード乗車券PASMO
10周年の記念日である3月18日に、新たな機能が追加される。
それは「クイックチャージサービス」である。

PASMOは導入当初から対象のクレジットカードと紐付けて、一定の金額以下を下回ると改札通過時に一定の金額がチャージされる「オートチャージサービス」が提供されてきた。
当初はカード会社から送られてくる紐づけられたオートチャージ専用のPASMOでしか使えなかったが、後に手持ちの記名PASMOでもオートチャージ対応になったほか、一部の鉄道事業者クレジットカードにはPASMO一体型のものも登場。
また、オートチャージの設定金額(オートチャージのタイミングとなる金額とチャージされる金額)は当初は固定されていたが、のちに1000円単位で自由に設定可能になった。

導入当初から相互利用に対応していたSuicaはオートチャージのほかに自分の好きなタイミングで券売機でチャージできるクレジットチャージ機能が存在したが、PASMOでクレジットカードでのチャージは改札通過時のオートチャージのみだった。
この点でPASMOはSuicaに劣っていた部分だったが、10周年の節目に追加されることになった。

クイックチャージはオートチャージの付帯機能であり、チャージ金額はオートチャージで紐づけたクレジットカードでの請求となる。
クイックチャージはまだオートチャージ基準の金額に達していない段階でクレジットチャージをしたい時などに有効的で、特にPASMOのオートチャージ対象外の相互利用エリア(PASMOエリア及びJR東日本のSuica利用エリア(首都圏・仙台地区・新潟地区)以外)での利用に備えて、あらかじめチャージしておくという使い方ができる。
当初は東急電鉄の券売機のみの導入ということだが、今後順次他の加盟事業者にも導入されるかもしれない。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


娯楽メディアの覇権

2017/02/17 20:45
この国の戦前から戦後間もない時にかけて、娯楽の中心といえば映画だった。
テレビなどない時代、映画が一番の映像発信の情報ツールだったのである。
そして各映画会社は専属の俳優を雇っていたのだ。

そして1950年に入ると、テレビが登場。
まだまだ映画が優勢で俳優が他所のメディアへ出ることを許されなかった時代、最初はテレビ局はそれぞれで専属の俳優を雇っていたのである。映画業界はテレビのことを半ば見下していたのだ。
しかし、テレビが普及していくにつれ娯楽の中心の座を映画から奪うに至り、映画はあっという間に衰退し倒産、あるいは縮小した映画会社が続出。
そして映画会社、あるいはテレビ局の専属俳優」という概念はなくなり、俳優・タレントがあらゆる会社の映画・放送局で出演できるようになる時代が幕を開けたのである。

1990年代、コンピュータの進化が急速に進み、さらにインターネットという世界規模のネットワークが完成、新たなメディアの一翼を担うことになる。
21世紀に入るとブロードバンド化により通信速度はどんどん向上し、映像の配信にも耐えうるメディアへと進化したのだ。
日本において長年メディアの覇権を握ったテレビ局はネットを自らの地位を脅かす存在で脅威に感じ、軽蔑したような目線を取ってきた。
しかし、確実にテレビは衰退しつつあり、危機を迎えようとしているテレビ局も見受けられるようになっていた。
ただ一方的に情報を流すだけのテレビとは異なり、インターネットは双方向のコミュケーションも可能なうえ、映像、文字、音声、あらゆるこれまでのメディアを取り込むことが可能な存在になっている。
テレビ局だけでなく、ニュースの中心的存在だった新聞社も岐路に立たされているだろう。

テレビに娯楽の覇権を奪われた映画は完全に消滅してはいないし、インターネットに地位を奪われつつあるテレビも完全になくなるとは思えない。
映画は劇場でしか味わえない体験ができるし、テレビもネットにはない「混雑無しで情報を発信できる」というアドバンテージが存在している。
今後、インターネットの地位を脅かすような新たなメディアが登場するかどうかはわからない。
仮にそれが生まれたとしても、それと共存共栄をたどるのが賢い道だろう。
新たな存在を見下して自分の首を絞めてしまうという、過去の覇者がたどった道を通らないように。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


都営地下鉄の鉄道仕様がバラバラな理由

2017/02/12 22:08
現在、東京都には13の地下鉄路線が走っている。
東京都心の狭い中をまさに網の目を縫って地下鉄路線が引かれており、大江戸線のようにあり得ないくらい深い所を走っている路線も存在する。
13ある東京の地下鉄路線のうち、9つが東京メトロ、4つが東京都交通局(通称:都営地下鉄)が運営する鉄道路線である。
東京メトロの銀座線、丸ノ内線はレールの幅は標準軌(1435mm)で第三軌条(車両の下部に引いてある架線)による集電方式だが、ほかの同社の路線はJRや民鉄路線と直通運転を行う都合でレール幅は狭軌(1067mm)・架空電車線方式となっている。
一方、都営地下鉄の4路線の鉄道仕様だが、これが見事にバラバラになっている。
※いずれも集電は架空電車線方式

〇浅草線:標準軌(1435mm)
〇三田線:狭軌(1067mm)
〇新宿線:変則軌間(1372mm、通称馬車軌間)
〇大江戸線:標準機ベースのリニアモーター式

なぜ、同じ鉄道事業者でありながらここまで仕様が異なっているのか?
大江戸線は建設時期が新しく、建設費圧縮のためにリニアモーター式のミニ地下鉄を使っていることに由来しているが、実は他の3路線はいずれも浅草線と同じ標準軌となるはずだったのだ。

都営地下鉄で最も歴史の古い浅草線は、京浜急行電鉄(京急)と直通運転を行うために同社のレール幅に合わせる形で標準軌で建設。もう1つの直通先である京成電鉄は現在の新宿線と同じ馬車軌間であったが、京急と同じ標準軌に改軌された。

三田線は計画当初南側は泉岳寺〜西馬込間を浅草線と共用し、軌間も標準機を採用予定であったが、大和町駅(現・和光市駅)で東武東上線、東急が泉岳寺から五反田を経て桐ケ谷までの新線(東急泉岳寺線・未成)建設し、さらに池上線・東急田園都市線(現在の東急大井町線の一部を含む)にそれぞれ直通する計画が浮上。
そのため、両社に合わせる形で狭軌での建設に変更された。
ところが、東急は距離的・時間的な利便性を優先するということを理由に田園都市線の直通路線を銀座線に変更(さらにその後半蔵門線に変更)し、泉岳寺線は未成となった。さらに東武東上線も有楽町線への乗り入れへ変更した。
せっかく標準軌にするところを、乗り入れの話を受けてわざわざ狭軌に変更したのが無駄になった都営交通側はいたたまれない気持ちだったろうし、実際に東武・東急に抗議を行っている。
三田線は三田以南の路線の計画が宙に浮いたままの状態だったが、その後一部を営団地下鉄(現・東京メトロ)南北線と共用する形で目黒へ延伸し、東急目黒線(旧・東急目蒲線)と直通する計画に変更、実現に至った。かつて裏切られた東急との直通が路線を変えて実現し、ようやく狭軌に変えたのが報われた形になった。

新宿線も浅草線との共通化が図れるよう標準軌にするつもりで、京成の例もあり乗り入れ先の京王帝都電鉄(現・京王電鉄)に改軌を打診した。しかし、当時の京王は利用者が加速度的に増えている状況で、京成のように工事を行うには無理があるためこの申し入れに難色を示した。
結局、都営側が京王に合わせて1372mmの軌間で新宿線を建設することになったのである。

最終的に都営地下鉄の仕様の違いは「こうなってしまった」という形といえる。
ちなみに、浅草線と大江戸線は駆動方式に違いがあれどレールの幅が同じで、大江戸線の車両の検査・修理は浅草線の車両工場で行われることから、専用の電気機関車で大江戸線の車両を浅草線まで直通させている。
なぜこんなことをしているのかというと、大江戸線の車両基地に工場を作るのに費用がかさむのを抑えようと考えてた時、ちょうど浅草線の車両基地が大規模改修が行われる予定だったことから、いっそのことそこに大江戸線の車両の整備を行えるようにしよう!ということになったのである。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


簡単だけどやってはいけないこと

2017/02/09 11:07
人や組織が成長するうえでは様々な方法があるが、その中で一番やってはいけないことがある。
それは「他者を凋めたり廃除して、自分だけが成長する」ことである。

世の中には様々な場面で競争があるが、その中でほとんどの人が他より強くなるために勉強したり体を鍛えたりするだろう。
そのためには精神的・体力的な大きな負担をかけるため、できれば楽にこなしたいと思う場面もあるだろう。
できる限り負担が無いよう効率性を高めるのはいいことなのだが、「楽な方法」で一番やってはいけないのが「他者を廃除する方法」である。

正義のヒーロー・ヒロイン物の作品では、敵側が正義側の「偽物」を使って評判を落としてしまおうとする作戦が多々描かれることがある。
自分たちが傷を負わず、相手を排除するというとても楽な方法だ。
しかしこれは、他者を凋めてのし上がろうとすることがいけないということを教えているようなものである。

自分が努力するより、ほかの人がいなくなったり傷ついたりして自分の地位が相対的に上がるというのは楽なことではある。
しかし、そうすることによって傷ついてしまう人、つまり社会的な犠牲者が発生してしまう。
物ならばいらないものは捨てたり整理したりするのは効率を高めるのに有効な手段であるが、よほどダメな人以外で人を排除して自分がのし上がるという方法は精神を持っている人間において、人道的・人権的に反する行為である。
方法としては楽だけど、それによって傷つく人がいるからダメよ、ということである。

ある大国で、大統領になったばかりの人物が、「強い国」を目指して排外主義的な政策も辞さない方向を打ち出している。
自国の利益を優先するのは大事なことだが、だからと言ってほかの国を排除したり傷つけたりしてまで自国の利益を得ようとするのは様々な不幸を生むし、争いの火種を作ってしまう。
これまでの世界の歴史で、排外主義的な思想を持った「大国」が賞賛された例は一度もないのだから。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


中央林間と南林間

2017/01/17 22:11
相模大野駅から藤沢駅を経て片瀬江ノ島駅まで至る小田急江ノ島線
起点の相模大野から藤沢方面へ向かうと東林間、中央林間、南林間と3駅続けて「林間」と名の付く駅名が連続して存在する。
これは、小田急発足当初に描いていた「林間都市計画」に端を発するものだった。

現在の小田急小田原線が開業した1927年、まだ計画段階だった小田急江ノ島線沿線のうち、神奈川県高座郡大野村上鶴間(現:相模原市南区)から大和村下鶴間(現:大和市)にかけて広がっていた平地林に都市開発を進めようとした。「林間都市」の名称は計画地域に林が広がっていたことに由来している。
そして2年後の1929年、小田急江ノ島線は開業するが、林間都市エリアに「東林間都市駅」「中央林間都市駅」「南林間都市駅」と3つの駅が開業する。
このうち林間都市駅の中心として据えられたのは南林間都市駅周辺で、ここに住宅をはじめ公会堂や各種スポーツ施設や学園を誘致しようとしたほか、東林間地区には工場を誘致し産業都市化を狙っていた。

しかし、当時は電車が今ほど性能が良くなく輸送量が小さかったがゆえに東京都心から遠すぎたことに加え、より都心に近かった小田急沿線の成城の宅地開発と競合してしまったこともあり、思うように都市開発は進まなかった。
そして日本は戦争への道を突き進み、戦時統合の流れもあって小田急も東京横浜電鉄(現・東京急行電鉄(東急))に合併され、いわゆる「大東急」の一部に組み込まれることになる。
その過程で林間都市の3駅から「都市」が外されることになり、この駅名で現在まで至ることになる。

戦後、小田急は東急とは袂を分かち再び独立し、戦前から戦中にかけて停滞し持ち越されていた林間都市計画が、高度経済成長期に入ると進む時がようやく訪れた。
宅地需要が増大したことに加えて、電車が高性能化し都心へのアクセスがしやすくなったことにより林間都市地区の人口が増え始めた。
そして当初の計画通り、南林間駅周辺は林間都市駅の中心駅として発達していく。
また、南林間駅は2面4線化され、1965年には急行の停車駅となる。
当時は周辺駅に追い抜きが可能な駅がなく、小田急の運行上としても重要な役割を持っていた駅だったのである。

林間都市が大きな変化を迎えたのは1984年。
東急田園都市線が中央林間駅まで延伸し、同線の終着駅かつ小田急江ノ島線との乗換駅となったのである。
乗り換え駅となったことで小田急の中央林間駅も利用客が急増。さらにバブル期に入ると新宿・渋谷・横浜といった街・ターミナル駅に30〜40分程度で行ける利便性(特に渋谷へは始発駅であることから座って楽に通勤ができる。)からベッドタウン化が急激に進みさらに利用者が増えた。
これにより1990年には小田急の中央林間駅も急行停車駅に追加。さらに2002年、急行より上位の速達種別である「湘南急行」が設定された際、中央林間が停車駅、南林間は通過駅となった。
なお、湘南急行は2004年、小田急小田原線内においてもさらに停車駅を少なくした「快速急行」へと発展解消し、現在に至っている。
また、小田急線の急行の10両化によってホーム延伸を行った際、相模大野駅と大和駅に待避線が整備されて南林間に待避線を設ける必要性が薄れたこともあってホーム延長と引き換えに待避線は廃止され2面2線の駅へと変更された。

こうして、バブル期から21世紀初頭にかけて、南林間と中央林間の地位は完全に逆転した。
2015年度の南林間駅の利用者数は約3万3千人で小田急全体では34位。一方小田急の中央林間駅の利用者は約9万7千人と小田急全体では12位、駅長不在の駅として最多となっている。
ちなみに東急の中央林間の駅も、2015年度は約10万5千人と田園都市線内で7位となっている。

画像

画像

南林間駅の西口(上)と東口(下)付近の風景

画像

本来の小田急中央林間駅の駅舎である北口とその周辺
駅事務室は閉鎖され、南改札に移動している。
画像

東急田園都市線延伸に伴って作られた、小田急江ノ島線中央林間駅の南口。
現在はこちらがメインとなっており、改札前には「箱根そば」もある。
画像

東急田園都市線 中央林間駅。
駅は2階建てで飲食店をはじめとしたテナントも入っており、右側には中央林間とうきゅうがある。

こうしてみると、古くからの林間都市中心であった南林間駅はやや雑然とした雰囲気がある一方で、より新しく再開発が進行した中央林間駅はややゆとりのある雰囲気の街並みになっている感がある。

画像

画像

南林間駅のホームの外側に残る、2面4線の時代の名残を示すスペース。(上は下り(藤沢方面)、下は上り(相模大野方面))
画像

南林間駅東口の道路をまたぐ陸橋も、2面4線自体の名残を感じさせる。
エレベーターは待避線撤去後のスペースに作られている。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


人にものを教える時に大切なこと

2017/01/17 17:55
先日、私の母親のアルバイト先での出来事。
店員の1人が近くやめることになり、その代わりとして同僚の友人が入ってくることになった。
その仕事は引継ぎや新人教育の時を除けば基本1人で行う仕事で、その新人さんの教育係となった人は、普段仕事がとてもできる人で、私の母とも仲のいい人だった。
もともと丁寧な人なので、きちんと教えてくれるだろうと思っていたそうだ。
ところが、初日から仕事の全てのことを一気に教え込もうとしてしまったために、新人さんは参ってしまい「ついてこれません。」と音を上げてしまった。彼女を誘った職場の同僚は少しずつ頑張ろうと引き留めたが、結局懲りてしまいもう戻ることはなかった。

教育係となった人は普段仕事はでき丁寧なのだが、教える時に自分と同じレベルの立場で教え込もうとしたがゆえに、まだ職場のことは何も知らない新人さんの心を折ってしまった。
極端なたとえだが、入学したばかりの小学1年生に、いきなり微分積分を教えるようなことをしたのである。
学校の教育でも、徐々に段階を踏んで難しいものを覚えていくのだから、仕事でも1から順にコツコツと覚えていくのが普通である。
その人が天才ならともかく、最初からすべてできる人なんていないのである。
もちろん、その人が教育の過程で想定以上にできるのならば、前倒しして鍛えても構わないが。

他の人よりできたり知っていたりしていると、ついつい自慢したくなってしまうものである。
しかし、それを話の場ならともかく(不愉快に思う人はいるかもしれないけど…)、教育の場で自分よりもレベルの低い人や右も左も知らない新人に押し付けたり、それを鼻にかけて見下すのはあってはならないことである。
レベルの高い人や賢い人は、初心を忘れたり自分よりもできない人の心理がわからなくなってしまう。
もっとレベルが高い人は、周りの人が全て馬鹿に見えてしまい、他人を全く理解することができなり「他人には任せられない」あるいは「すべて自分がやらなければならない」という気持ちにかられる。最終的にはワンマンや独裁者に繋がってしまうかもしれない。

教育のする中で大切なのは
・自分と同じ立場・レベルで考えない。
・一気にすべて叩き込むのではなく、段階を踏んで育てていく。
・できなかったからと言って、決して馬鹿にせず見守ってあげる。
(失敗での成長することの大切さ)
だと思う。
私もついつい上から目線で言ってしまいがちなので、アドバイスするときにも人を不愉快にすることがないよう気を付けていきたいと思う次第。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


正義と悪に大別できるほど、世の中は単純じゃない

2017/01/12 17:54
物語の王道の一つである「勧善懲悪」。
「正義」が「悪」をこらしめる(あるいは滅ぼす)ことで、めでたしめでたしという流れである。
しかし現実は、悪を滅ぼせば全ては解決するものなのだろうか?

現実の戦争においては、それぞれが自分達が「正義」であると信じて行動し、その意見の相違から発生するケースが多い。
自分の意見に従わないものを「敵」「悪」と見なし、それらをやっつけてやろうと考えるから戦争は発生する。
社会生活の場でも、互いの意見をよく聞き、話し合いで解決できればとても良いが、意見が折り合わず最悪手を出してしまうまでに至っては、これ以上気分の悪いものはない。

自分が信じてる「正義」を妄信すると「カルト化」し、自分に意に沿わないものを排除しようと過激な行動に走ってしまう。
その典型なのが「オウム真理教」やイスラム過激派組織だろう。
前者は様々な形で日本社会に影を落としたし、後者は世界中を恐怖に陥れ普通のイスラム教徒にも風評被害を与えている。
たとえ自分の考えが正しくて理に通っていたとしても、手を出した人が一番悪いのである。

ただ、一つ言えるのはこのような「過激な正義」に走ってしまう人物や組織は、最初から悪意を持って育って生まれるようなものでは決してなく、普通の人すらそれに走ったり従ってしまう可能性があるということである。
特に今の日本社会は不安要素がいっぱいで、そういった考えに走る人を生み出してしまいやすい社会になっている。
一番怖いのは特定の対象を「敵」と決めつけ、徹底的に排斥してやろうと行動に出てしまうことである。
過激な行動は何の罪のない人や関係のない人たちまで巻き込んでしまう可能性が高く、いいことはないのである。
「敵」や「犯人」を探し出してそれをつるし上げることに熱心になる前に、平和に解決をできる道筋を探すべきである。
そして、手を出すのは相手が仕掛けてからにすべきである。

世の中は「正義」と「悪」の真っ二つに区別できるほど、単純にはできていない。
特効薬が副作用を伴うとの同じで、単純に解決しようとするほどたくさんの犠牲が伴ってしまうのだから。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


「元旦はみんな休ませて!」とはいうものの…

2017/01/02 19:51
昨日は元旦でしたね。
もう2017年も1日が経ったのかと思ってしまうくらい、私にはあまり実感がありませんでした。
というのも私は元旦は仕事だったからです。

昨年は某大手広告代理店の過労自殺問題から端を発し、とにかく働きすぎな日本人の労働時間や環境についての見直しが叫ばれるようになりました。
そんな中、元旦にこんな意見が飛び出しました。
「コンビニも元旦は休みではいいのではないか?」

たしかに元旦にもかかわらず、仕事するのは大変でしょうし、みんなが休む時に休ませてあげたいという気持ちはわかります。
究極的には「元旦は交通機関も休みでいいじゃないか!」という意見も見かけたくらいでした。

過剰なサービスが今の日本ではあるのは確かですが、別にコンビニはともかく、交通機関にまで元旦休業を求めるのは言い過ぎだと思います。
たくさんの人が楽しく休んでいる裏で頑張っている人がいるからこそ、みんなが楽しく休んでいるのも確かだと思います。
だから、「元旦だから全員休みにしろ!」というのは極論すぎると思います。

私の職場は入院病棟のある病院で、私はそのリハビリの内容のカルテ入力を受け持つ事務作業をしています。
入院患者は年末年始もずっと入っていて、何が起こるかわからないので常に誰かがいなければならない状況なので、年末年始でもみんなが休むわけにはいきません。
その代わり、大みそかと正月3が日に出勤した人には特別手当が支払われるようになっています。
そのため、私の同じ課でも志願して年末年始に出勤希望する人もいました。(^-^;

年末年始は全員休ませるよりも、こういう風に頑張って出勤する人には特別手当を出せば仕事する人の士気も高まりますし、また逆に年末年始こそ働きたいという人も出てくると思います。
コンビニなんかもかわいそうだからという理由だけで休みにするもの考え者ですし、逆に開いているからこそ助かる人も多いと思います。
年末年始は人数を少なくする代わりに一部のサービスを休止し、また特別手当を支払う形にするといいと思います。

確かに過剰な仕事やサービスがあるのは確かですが、かわいそうと思うよりもお互い感謝する気持ちを持ったり、あるいは頑張ってる人を物・心の両面でねぎらったりすることでみんなが支えられてる実感がわき、社会に生きている気分になっていると思いますが、いかがでしょうか。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


新しい年のスタートに、ブログをはじめてみました。

2017/01/01 21:41
はじめまして、あるいはこんにちは。
actime(アクティム)と申します。

今日から2017年、新しい年を迎えましたね。
新しいスタートをきっかけに何か始めてみようかなということで、この度ブログをはじめてみました。

実は私、過去に何度かホームページやブログを何度か開設した経験があるのですが、どれも長続きせず閉鎖してしまいました。
最近はTwitterというお手軽な情報発信ツールがあるおかげで、なかなかブログを再び始めようとは思ってませんでしたが、文字数制限がある中では伝えづらいものもあると思い、またもっといろんな情報発信拠点があればと思って再びブログ開設を決めました。

私の趣味や生活の中で感じたこと、気づいたことや日常を取り留めもなく書き綴っていこうと考えています。
マイペースに運営していくブログで、デザインも殺風景ですが、どうかよろしくお願いします。
そして、今度こそ長くブログを続けていこうかと考えています。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


月別リンク

actimedia/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる